お散歩めぐろ

甘藷まつり

2014/11/07

10月28日の目黒不動縁日はただの縁日ではなく、「甘藷まつり」です。甘藷先生と称された青木昆陽を偲んでの「甘藷まつり」なのですが、なぜ10月の縁日の日なのかというと青木昆陽の命日は10月12日ということだからです。昼休みにのぞいてみると露店が並びすでになかなかの人出。青空で良い天気です。

昼休みにのぞいてみると露店が並びすでになかなかの人出。
青空で良い天気です。

「さつまいも栽培を広めた蘭学者 青木昆陽先生の遺徳を偲ぶ」とあります。あらためて青木昆陽さんは蘭学者なのですね。(さつまいものイメージが強いですが、解体新書の前野良沢も昆陽の蘭学の弟子人です。)仁王門をくぐって進めば正面に「甘藷まつり」の大きなむらさき色の幕。

「さつまいも栽培を広めた蘭学者 青木昆陽先生の遺徳を偲ぶ」とあります。

お昼時で、たこ焼きや焼きそばの誘惑は強烈ですが、まずは、その向こうの階段を上って本堂にお参りです。

お昼時で、たこ焼きや焼きそばの誘惑は強烈ですが、まずは、その向こうの階段を上って本堂にお参りです。
この時間はちょうど御祈祷の際中でした。その様子を見ながらお賽銭を入れて、手を合わせます。

お参りの後、この日は本堂裏手の墓地を訪れました。そこに青木昆陽さんのお墓があるからです。「甘藷まつり」の日でお墓の後ろに紅白の幕、そしてここにもまつりの幟が立ちます。おそらくこの後にさつまいもがいっぱい供えられるのでしょう。

おそらくこの後にさつまいもがいっぱい供えられるのでしょう。
甘藷先生、青木昆陽さんが亡くなったのが明和6年10月12日ということです。三年後の明和9年(明和九=めいわく)には目黒行人坂の大火。この大火があった年は田沼意次が老中になった年でもあります。吉宗の命でさつまいも栽培を世に広めた青木昆陽さんが亡くなったすぐ後に田沼時代がはじまった。そんな時代を生きた人なのですね。歴史を感じてしまいます。

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